1895(明治28)年
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新潟県十日市中条町に生まれる。本名、賢治郎。
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1914(大正3)年
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早稲田大学予科へ入学。そのころから写真に興味を持ち富士山を写し始める。大正5年には忍野からの富士山を写している。
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1923(大正12)年
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関東大震災に当たり、東京府の委託により各地の被害状況を撮影し、東京府知事協賛のもと「関東大震災誌」出版
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1926(大正15)年
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伏見宮殿下、山階宮殿下御乗組みの練習艦隊に便乗仰せつけられ、欧州及び南洋各地の写真撮影に従事
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1927(昭和2)年
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先年訪欧の折、各国元首へ富士山の写真を贈呈した事に対する感謝状を受ける。名古屋美術館にて富士山五十景写真展を開催
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1931(昭和6)年
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1月雪中富士山登山を行い貴重な撮影を行った。秩父宮殿下に富士二十景を献上、ご嘉納の栄を賜る。
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1932(昭和7)年
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2月富士登山を行いその登山写真を、朝日新聞ほか数紙に掲載。「富士百景作品集」を審美書院より出版。
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1940(昭和15)年
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写真集「富士山」をアルスより出版
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1943(昭和18)年
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富士の写真「神韻霊峰」一面昭和天皇に献上。写真作品が宮内省を経て正式に献上されたのは初めての例である。
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1945(昭和20)年
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国際親善の目的をもって、連合軍総司令官マッカーサー元帥に富士写真集を贈呈し感謝状をうける。
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1949(昭和24)年
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厚生省国立公園中央審議会委員に委託される。
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1950(昭和25)年
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郵便切手に富士山と国立公園の写真23点が採用される。また郵政審議会専門委員に任命され、郵便切手発行に直接参与した。
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1956(昭和31)年
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国立公園協会会長より、国立公園の発展に尽力したことにより、朝倉文夫、横山大観、徳富蘇峰、村上元三合作の顕彰碑を有志により河口湖畔に建立される。
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1957(昭和32)年
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「富士百景」を平凡社ペリカン文庫より出版
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1959(昭和34)年
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写真集「富士」を朋文堂より出版
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1960(昭和35)年
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アメリカのザ・ミュージアム・オブ・モダン・アート推奨により、富士山写真展をニューヨーク市にて開催する。
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1966(昭和41)年
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生存者叙勲、勲三等瑞宝章を授与。メキシコ国よりアステカコロナ章を授与される。
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1969(昭和44)年
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アポロ11号三飛行士に富士山の写真十八景を贈呈し、アメリカ大使より感謝状を受ける。
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1970(昭和45)年
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写真集「富士」を求龍堂より出版
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1972(昭和47)年
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11月22日没する、享年77歳
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